ヒロシマの旅2026を7/24(金)~25(土)の日程で開催しましたのでご報告します。参加者は、会員生協ユーコープの組合員9家族26名、事務局5名(県生協連3名・ユーコープ2名)です。
(1)被爆者の桒本勝子さん講話
1939年(昭和14年)生まれで現在87歳の桒本さんは、戦争末期、姉とふたりで親戚を頼って田舎へ疎開します。昭和20年4月に疎開先の広島の郊外の小学校へ入学しました。しかし当時は空襲警報が相次ぎ、ほとんど勉強はできませんでした。また常に激しい飢えに苦しむ日々でした。8月6日の午前8時15分に原爆が投下され、桒本さんは学校で被爆します。爆心地から数キロ離れていましたが、爆風で割れたガラスにより、同級生が大怪我を負いました。広島市内にいた母親は、倒壊した家の下敷きになります。奇跡的に救出され、数日後に疎開先へたどり着きました。復員した父親から輸血を受け、一時的に回復します。しかし、残留放射能の影響は深刻でした。母親は乳がんや肺がんなどを発症します。そして、最後まで苦しみながら亡くなりました。戦後の暮らしも非常に厳しいものでした。校舎はなく、木の切れ端を机にして学びました。親を亡くした多くの子どもたちが、援助のない中で働きました。桒本さんは、同じく被爆した先輩女性に背中を押され、被爆の記憶を伝える語り部となりました。
桒本さんの話を聞いて涙ぐんでいる子どももいました。また、「食料がないなか、どうやって生活していたのですか」との質問が出され、「雑草や芋の蔓など、食べられるものは何でも食べた」と桒本さんが返答しました。
(2)平和記念公園の散策
平和記念公園では、原爆ドーム、原爆の子の像、原爆死没者慰霊碑を順に巡りました。強い日差しが照りつける中でしたが、事務局が出題するクイズを通して学習を深めました。原爆の子の像では、静岡から持参した千羽鶴に参加者が平和への思いを綴った短冊を添えて奉納しました。
(3)平和記念資料館
資料館では1時間40分ほど自由行動としました。平日でしたが比較的来場者が多く、特に外国人観光客の姿が目立ちました。参加した小学2年生からは「原爆は怖いと思った」との感想が寄せられました。
(4)被爆アオギリ、レストハウス、爆心地、アンデルセン本店
資料館の出口近くにある被爆アオギリは、先日ユーコープで「被爆アオギリ二世」の苗木を植樹した縁もあり、立ち寄ることにしました。その後、被爆建物であるレストハウスやアンデルセン本店、そして爆心地である島内科医院の前を通りました。広島には今なお多くの原爆遺構が現存しており、これらを大切に保存して後世に伝えようとする強い意志を感じました。
(5)オプションツアー 平和記念公園周辺 本川小学校
2日目の朝実施しました
。残念ながら参加希望者はいませんでしたが、事務局5名でツアーを実施しました。日本生協連などが協力して設置した「『被爆者が描いた原爆の絵』を街角に返す会」の11号碑を見学したのち、本川小学校平和資料館を訪問。貴重な資料を見学し、係の方から詳しい説明を伺いました。爆心地に近かったためほとんどの方が亡くなり、生き残った方も病と闘いながら平和を願い続けてこられた様子がひしひしと伝わり、深く胸を打たれました。
【開催概要】
静岡県生協連では、毎年7月下旬に平和の旅を実施しています。今年は「ヒロシマ平和の旅」の開催を会員生協に呼び掛け、ユーコープと協力して開催することとなりました。
ヒロシマ平和の旅の目的は以下の通りです。
①被爆地広島を実際に訪れ、原爆の脅威を肌で感じ、平和の大切さを考える場とする。
②家族で行動することにより、平和をテーマに語り合う場とする。
※混雑を避けるため、ヒロシマ原爆の日である8月6日の前に実施しています。
(1)日程
・ガイダンス:7/18(土)ALWFロッキーセンター
・ヒロシマ平和の旅:7/24(金)-25(土)
・振り返りの会:8/22(土)
(2)参加者 26名(ユーコープ組合員)
(3)事務局 5名(静岡県生協連3名、ユーコープ2名)
